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  • 執筆者の写真ishmojiko

伝説


皆さん70年代後半から80年代を経て90年代初頭にかけて放映されていた伝説的番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」をご存知ですか?かれこれ30年前のことなので(^_^;)全く知らない方も多々いらっしゃると思いますが、'へぇ、そんな番組あったんだ~'ぐらいの気持ちで宜しければお付き合いくださいませ。


このウルトラ(ここからは愛情込めてウルトラと書かせていただきます^ ^)最終目的地であるニューヨークを目指して世界の国々を旅しながらクイズをし、敗者は即刻日本へ送り帰されるといった今では考えられないほど壮大なスケールのクイズ番組でした。

時代はバブル全盛期、日本が活気に溢れ元気いっぱいだった時代。

ファミリーコンピューターいわゆるファミコンが発売されたのもこの時代で、子どもたちはマリオの動きに一喜一憂し、ソフトの接触が悪いとおまじないのようにふっと勢いよく息を吹きかけていたそんな時代(笑)。鳥山明さんのドラゴンボールが放映開始されたのもちょうど同じ頃で、フリーザが登場した時は '嗚呼地球は終わった、、'と心底絶望したものでした(笑)。


現代を生きる我が息子を見ているとオンラインでゲームしたりyoutube見たりetc、、自宅に居ながらにして遊び方は多種多様。自分が子どもだった頃は家に帰って遊ぶといっても今ほど選択肢は多くありませんでした。だからこそテレビの存在というものがとても大きかった。「コンプライアンス」といった言葉もフィーチャーされていなかった時代、大人たちは今よりものびのびとモノづくりをしていたように思います。そんな時代背景にあってテレビ業界も「おもろいことやってやろうぜ!!」と番組にかける熱量が半端なかったですし、とにかくテレビが面白かった。「お茶の間」といった言葉がよく使われるほど老若男女家族みんなでテレビの前に集合っていうサザエさんのような光景がよく見られた時代、テレビ黄金期その勢いそのままにウルトラはお茶の間を席巻していったのです。



広く知られることとなったクイズ番組ウルトラですが、その面白さはクイズの勝ち負けもさることながら挑戦者である一般人の皆さんそれぞれにぐっと焦点をあてることにもありました。クイズ出題の場面だけではなく旅をする過程でオフタイムの挑戦者たちにもスポットライトを当てそれぞれのキャラクターをも際立たせて見せていくことで、視聴者が挑戦者に感情移入しやすく、いわば推しメンを見つけ応援していく視聴者参加型のような番組構成もウルトラの魅力のひとつでした。私もその戦略におおいにハマった一人(笑)。ここからはかなりウルトラオタクな話なんですが(笑)、ウルトラ視聴者としてはそれぞれ心に残るいわば神回というものがありまして、第10回の北米南米にルートを分けた回もかなり面白かったと記憶しているのですが、私にとっての神回はなんといっても第13回ウルトラ「長戸帰れー!秋利帰れー!」の回!! (わかってくれる皆さんはきっと居ると信じて!笑) それはそれは木曜の夜が待ち遠しくてあんなにテレビに夢中になったのは後にも先にもないんじゃないかっていうぐらい濃厚な一か月をウルトラとともに過ごした1989年の初秋だったのです。


その神回の記念すべき第一問目は「自由の女神はかつて灯台だった、◯か✕か」でした。子どもの私は迷いなく◯と答え正解し嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています。

番組冒頭あの耳にするだけで始まった感が半端ないオープニング曲『スタートレックのテーマ』が流れる中「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」の立体文字、最終目的地ニューヨークまでのチェックポイントを軽快に紹介していくさまもワクワク感でいっぱいでした。

総合司会福留アナウンサー、留さんの「ニューヨークへ行きたいかー!!」という声かけにテレビの前で「おー!!!」と心躍り、子どもだった私は「ニューヨーク」というなんとも華やかな言葉の響きにその地への憧れを膨らませたものでした。お笑い芸人のピース綾部さんがニューヨークへの熱き想いとともに渡米した時は「あの地へ行くんだ~」とどこかソワソワした気持ちに。大人となった自分にもいまだあの頃の憧れが残っていることに気づかされ、いかにウルトラが大きな存在であったかをあらためて感じたのでした。


私にとっての神回第13回ウルトラクイズですが、それはそれは個性豊かな挑戦者が沢山いました。チェックポイントが進んでいくなか敗者は帰国を余儀なくされ、愛すべき挑戦者ばかりでどの方にも敗れてほしくない気持ちがどんどん膨らみ、敗者が決まる度に胸が痛くなったものです。そんな中私が夢中になって応援したのは京都出身の長戸勇人さん。当時立命館大学の四回生だった長戸さんは早押しクイズにめっぽう強く、ご本人が決勝後に「クイズはスポーツ」と語っておられたようにコンマ何秒かの差でどんどん早押し機を押していくさまはまさにスポーツを観ているかのようでした。そのクイズへの姿勢はさることながら、人間的にも人々を惹きつける魅力のある方でした。その長戸さんの周りを固める挑戦者たちも実に個性派ぞろい。特に準決勝の地となったボルティモアでは立命館大学の長戸さん、東京大学の田川さん、名古屋大学の秋利さん、長戸さん同様立命館クイズ研究会の永田さんといったそれぞれ性格もクイズの戦い方も個性を持った4人がスタッフの用意していた問題が尽きるほどの死闘を繰り広げました。長戸さんの著書『クイズは創造力』にはその時の模様が記されていてオンエアにはのらなかった裏話を垣間見ることができ、そんなことがあったんだ~とウルトラファンとしては興奮ものです。ボルティモアの戦いは、「知識があるとはこんなにも格好いいものなのか」と当時の私に強烈な印象を与えたのです。


毎週 VHS(懐かしい~笑)のビデオに録画し、番組の放映が終わった後も擦り切れるほど繰り返し見たウルトラ。4週5週あたりであれば問題聴くだけでいまだに答えを覚えているほど(笑) それほどハマりにハマったウルトラでしたが、いつしか時は流れ令和時代。これまで時折思いだすことはあっても当時のことを誰かと語らうことはなかったのですが、、先日ふらりとお店にお立ち寄りいただいたひと組のご夫婦。ご主人の出身地が京都とお聞きし、どことなく当時の長戸さんに似てらっしゃるご主人だなぁと感じた私はウルトラの話をぽつりと話しました。するとなんとなんとそのご主人がウルトラの大ファンでしかも長戸さんに憧れて立命館大学をご卒業、しかも、あの立命クイズ研究会「RUQS」に所属されていたと伺い、それからは堰を切ったようにウルトラの話で大盛りあがり!!

縁とは時として奇なるもので、まさかこの令和の時代にしかもこの門司港の地、小さな ishのお店で30年前の話を語らうことになるとは(゜゜) ウルトラオタクが二人も居れば話は尽きないもの(笑) またご夫婦にお会いできる日を楽しみにしているishなのです。



今回は当時のことを懐かしく、熱く熱く綴らせていただきました。皆さん最後までお付き合いいただきありがとうございます。

ではまた __ish




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